「慰霊の日」の23日、2019年度宮古島市全戦没者追悼式及び平和祈念式典がマティダ市民劇場で挙行され、遺族や大勢の市民が戦没者の冥福を祈るとともに恒久平和を誓い合った。式典は全員で黙とうを捧げたあと、小・中・高校の代表が平和の作文・詩を朗読。下地敏彦市長が「戦争体験を風化させず、平和の尊さを後世に伝え恒久平和の実現に取り組む」とした平和メッセージを読み上げた。最後は出席者らによる献花が行われ、戦没者の冥福を祈った。
追悼式及び平和祈念式典は午前11時50分にスタート。会場には最前列に遺族会代表や戦争の悲惨さを直に経験した高齢者らが着席。周囲を一般参列者や児童生徒らが着席した。
主催者代表で下地敏彦市長が式辞。「先の大戦で、宮古出身者3000人余が戦火に倒れた。その無念さに思いを馳せるとき、戦争の悲惨さ、残酷さに痛惜の念を禁じ得ない。終戦から74年を経た今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦争で犠牲になった人たちの犠牲の上に成り立っていることを忘れず、悲しい歴史を二度と繰り返さないという決意を新たに、恒久平和の実現に向けより一層努力していく」と述べた。
正午の時報にあわせて全員が起立し1分間の黙とうが捧げられた。
宮古島市戦没者遺族会の川満俊夫会長は「大戦より74年の歳月が流れ、戦争の記憶が薄れようとする今日、歴史を学び、平和に思いをなすことは極めて重要だ。戦死された御霊の子どもたちも高齢者となったが孫たちは立派に成人し、多種多様な仕事で頑張っているので安心してほしい。私たちの住む宮古島市も歴代市長の下で反映している。私たちは御霊の犠牲を無にしないためにも、温かいぬくもりある社会づくりに頑張っていく」と述べ、御霊の安寧を祈願した。
続いて小・中・高校生の作文朗読に移り、平良第一小学校の荷川取宏太君が「ピースメーカーとして」と題し、生まれる前に亡くなった曽祖父が自分の母に語った戦争体験の例に出し「ピースメーカー」となる決意を述べた。また、狩俣中の佐渡山愛音さんが詩「手を取り合って」、宮古高校の松川瑠希君が「心の弱さにむきあうとき」と題した作文を朗読した。
宮古島市議会の佐久本洋介議長、県宮古事務所の稲福具実所長が来賓祝辞を述べた。遺族会の川満会長らによる代表献花の後、下地市長が「戦後74年、歳月を重ねても戦争の記憶が消えることはない。この当たり前の幸せな日々を奪った悲惨な戦争を繰り返してはならない。私たちは悲惨な体験を風化させることなく平和の尊さを後世に伝えていく」とした平和メッセージを読み上げた。
このあと舞台下に陣取ったみやこ少年少女合唱団が「いのちの歌」「「大切なふるさと」と、平和を訴える歌を伸びやかに合唱し、式は終了。そして献花台が運ばれ、一般市民の献花が行われ大勢の市民が献花して祭壇に向かい合掌した。